阪神大震災から22年に思う その時自身はどうしたのか?車はどうだったのか?改めて思い出してみた

 

阪神大震災からもうそんなに経ったのかというのが正直な感想だ。
阪神大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
阪神大震災では管理人も被災したが幸い人的な被害は無かったのでどちらかと言うと生活自体に苦労したという感覚だ。
そんな未曾有の大震災を体験したわけだがその際に車との関わりを改めて思い出しながら書いてみようと思う。
地震の体験を詳しく書くのは初めてのことなので読みづらいところもあると思うがご了承いただきたい。

LJ78Gランクルプラド前期型

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今から22年前の管理人

管理人TomTomの22年前というと年齢は30代前半で仕事は独立して小さなIT会社をやっていた。
その時まだ子どもたちは小さくて長男が5歳、長女が3歳だった。
はじめて手に入れたささやかなマイホームで家族4人で楽しく過ごしていたのだ。
当時の車はトヨタのランクル・プラド 2.2L ディーゼルのロングボディー(5ナンバー)だった。

阪神大震災の瞬間

当時22年に住んでいたのは兵庫県の東の端っこで新築1年半のささやかな木造家屋(在来工法)だった。
1995年1月17日の月曜日の朝方、滅多なことでは目を覚まさない管理人TomTomであるがビックリして目が覚めた。
気がついたときには家がゆっさゆっさと揺れて今にも倒れそうにギシギシと音を立てていたのを思い出す。

たまたま子供と一緒に寝てしまっていた

たまたま夫婦二人で子供たちを寝かしつけそのまま子供のベッドで寝てしまっていた。
子供たちの2台のベッドはすぐ横に並んで置いてあった。
目を覚まして家が揺れているのを認識した後は同じベッドで寝ていた長男に覆いかぶさるしかできなかった。
というのは寝ていたベッドが地震の揺れでフローリングの床の上を1メートルも行ったり来たりして滑っていたのだった。
このため立ち上がろうにも全く立ち上がれない状況だったのだ。
おまけに家がギシギシと今にも倒壊しそうな音を出していた。
この時点で家が倒壊して死ぬかもしれないと管理人TomTomは覚悟したのだった。

なんとか持ちこたえた小さなマイホーム

だが幸いなことにささやかな新築の小さな家は阪神大震災の揺れになんとか持ちこたえてくれたのだった。
あとで調べてみると住んでいた地域には断層が通っており震度7だったことが分かった。
神戸からは離れているが揺れが非常に激しい地域だったのだ。

この時点で周囲のことはわからず

揺れが収まると外へ飛び出して周囲を見回してみたが、まだ暗い時間帯だったので詳しいことは全くわからなかった。
周囲で火災は起きておらずそのことについては一安心だと思った。
この時点では電気は停電、ガスも遮断、水道は出ていたが水が茶色に濁っていた。

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阪神大震災の当日の様子

少し明るくなってから周囲を歩いて見回ってみた。
ガスメーターは赤ランプが点灯してガスが遮断されていて道路のあちこちからガスの漏れるシューという音がしていた。
その時点では地震に関しての情報が全くなく周囲の状況も把握できなかった。

避難はしなかった

家自体はなんとか持ちこたえた、さらにたまたま近所で火災が起きるということもなかった。
こうしたことで避難しようとは思わなかった。

近所の息子の同級生宅は足の踏み場もなく

近所の息子の幼稚園の同級生のお宅へ行ってみて玄関から声を掛けてみるとえらいことになっていた。
家の中がタンスが倒れて足の踏み場がなかったのだ。
同級生の家族は幸いにも怪我もなく我が家に緊急避難してもらった。

近所のマンションは縦に圧縮されていた

さらに近所を歩き回ってみると近所のマンションが縦に圧縮されて玄関ドアが開かないということで救出活動が始まっていた。
マンションが倒壊したり特定の階が潰れたりということは無かったがこのようになったマンションが使い物にならないのは明白だった。
後日判明したのだがこうしたマンションが近所に5~6棟あった。

近所の中学校には人が集まり始めていた

近所の中学校を見てみると人々が避難をしてきていて集まり始めていた。
だが救援体制はこの時点では全く動いておらず近所の住人が集まっていただけだった。

管理人の自宅は倒壊はしなかったが

自宅へ戻ってきて家の内外をチェックしてみた。
リビングは棚に入っているものがほとんど中から落下し床の上に散乱しフローリングの床がグネグネと波打っていた。
風呂場はタイル張りだったが落ちてしまっていた。
窓のサッシは揺れのため壁とサッシの間に隙間ができて寒風が吹き込んでいる。
家の角々は室内から見るとクロスが切れて箱を揺さぶった状態になっていることがよくわかった。
管理人TomTomの自宅はこういう状態だったが雨露はしのげた。

しばらくすると電気が復活

幸いなことにしばらくすると朝7時ころ電気が復活したのでTVをつけたら神戸市東灘区の阪神高速道路が横倒しになっている映像や長田区が燃えている映像が目に入った。
この時点で初めてこれほど広範囲でひどい地震だったということが認識できたのだった。
さらに電話も早朝ならかかったので神戸の実家に連絡しお互いの無事を確認した。
その後、電話は通話規制のため全く通じなくなった。
また電車はJRと私鉄ともに全く動いておらずこれでは仕事にならんと思ったのだった。

車の状態

ガレージに止めてあるランクル・プラドを見てみると少し違和感がある。
よく見てみると止めた場所から横に50cmほど移動していたのだった。
きっと激しい揺れでサスペンションが動いてゆっさゆっさと少しづつ移動したのだろう。
タイヤの擦れた跡がコンクリートの床に残っていた。
それ以外は異常は見当たらなかったのはラッキーだった。

水や食料の確保に動いてみるが

近所を徒歩で歩き回ってみても店舗は営業しておらず自販機も水やお茶の類はすでに売り切れていたのでほとんど何も調達できなかった。

阪神大震災の2~3日後

阪神大震災直後から直ぐそばを走る中国自動車道が不通になり、そのせいで一般道に車が溢れていた。

丸一日以上動かないひどい渋滞

阪神大震災の後のこの時期はひどい渋滞でまる1日車が全く動かないということは日常茶飯事だった。
ひどいときには何日も車が動けなかった。
この状態が兵庫県の東の端から神戸にかけて続いていた。

移動は自転車

移動するにもどうしようもないので管理人TomTomは自転車(マウンテンバイク)を引っ張り出して動いていた。
この時期は朝一番で自転車である交差点を通過し、夕方帰ってくる際に同じ交差点に同じ車が止まっているのが普通だったのだ。
自転車が一番効率の良い移動手段だった。
この時ほど最後は体力勝負だということをしみじみ感じたのだった。

ひどい渋滞は3ヶ月ほど続く

こうしたひどい渋滞は阪神大震災の後3ヶ月ほど続いた。
やむおえず車で移動する際には渋滞は覚悟する必要があり、そのために燃料も余分に必要だった。
また到着時間が読めず車中泊を覚悟しながらの移動だった。
そのうちに全く動かないという状況は少しマシになったがひどい渋滞であることには変わりはなかった。
こうした事から車で移動することは極力やめて徒歩か自転車で移動していたのだ。

たまたま電車が通ったから助かった

阪神大震災の際には電気と水道はすぐに復旧したがガスの復旧が遅れた。
ガスの復旧は3ヶ月ほどかかったこともあり風呂に入るにも電車に乗って移動しなければならなかった。
こうしたことは風呂だけではなく買い出しもそうだ。
管理人TomTomの住んでいた地域がたまたま電車が複数路線ある地域だったのでこれは助かった。
もし車で移動しなければならないのであれば渋滞のために徒歩と電車以上に苦労したかもしれない。

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都市型災害の阪神大震災と車

管理人TomTomが阪神大震災で被災した際には車での移動は諦めていた。
前述の通りそれはそれはひどい渋滞だったからだ。
これでは車を持っていてもどうしようもない。

車は走ってなんぼだが

もし阪神大震災の時に家が倒壊していたら車の中でしばらくは過ごしたかもしれない。
その後は避難所での生活をしていたことだろう。
管理人TomTomの場合はたまたま家が倒壊しなかったので自宅で雨露を凌ぐことができたのだ。
さらにひどい渋滞のために車は持っていても役に立たなかった。

都市型災害の典型である阪神大震災

阪神大震災の時は近所を走る電車が不通になったが突貫工事で1週間後に復旧したのだった。
阪神大震災の場合は管理人TomTomの自宅最寄りの駅から電車で5駅くらい離れるともう通常の生活だった。
つまり距離的には近いが震災による被害は大きく異なっていたわけだ。
距離的には直線で20kmほどの大阪まで出てみると普段と全く変わらないのだった。
阪神大震災はこのように典型的な都市型の災害だった。

たまたまクロカン4WDで助かったこと

当時乗っていたのがランクル・プラドでクロカン4WDだったことで助かったことがある。
瓦礫が道路に散乱しているのでそれを乗り越えていく必要があったのだ。
通常の車では乗り越えられない倒壊したブロック塀なんかも乗り越えて進むことができたのだ。
また道路が陥没していたり大穴が空いていたりする場所も多くクロカン4WDの大径タイヤの恩恵を受けた。
こうした時にはやはり大径タイヤを履いたクロカン4WDは心強いと思った。
ただこうした災害時は車自体のサイズが大きいと不都合が多いと思う。
それでなくても震災で狭くなっている道路事情のためだ。
加えて激しい渋滞のために裏道を走る必要があったからだ。

いざという時に備えて

管理人TomTomの場合は阪神大震災のときには家は壊れはしたがとりあえずはそのまま住めた。
避難所生活を送ったわけではないが阪神大震災で教訓としたことがいくつかある。

情報の入手

阪神大震災の時に痛感したのは何と言っても情報不足だった。
一番情報が早くて一目瞭然なのがTVだと思う。
だが停電しておれば家庭ではTVを見ることができない。
だから車にTVを装備すべきだと思った。
情報を入手することができれば何をすべきか?どこへ行くべきか?が的確に判断できるだろう。

できれば4WDで走破性を高めたい

こうした災害時は道路事情が悪くなることが多い。
したがってある程度の走破性を車に求めたいと思った。
クロカン4WDでなくても良いと思うが多少の不整地や泥等でも問題なく走破できる4WD機構はあったほうが良いと思う。
また車を購入する際に車内泊をする事になったらという観点も持ち合わせたほうが良いかもしれない。

燃費は大切

災害時には給油ができるのかどうかが分からない。
ガソリンスタンドは長蛇の列になることも多いし、そもそもガソリンを入手すること自体ができるかどうか分からない。
これを考慮すると燃費の良いクルマであることは重要だと思う。
またHVやPHVで電気を取り出せる車であればたいへん助かるのは間違いない。

でも最後は体力と備え

管理人TomTomの阪神大震災時には体力勝負だった。
何をするにも移動は徒歩か自転車だったからだ。
こうした災害時には最後の最後は車を捨てて徒歩で避難したりすることもあるだろう。
その場合に頼りになるのが自分の体力だ。
普段から歩くことをして少々の距離を歩くのは問題ないようにしておくことが大切だと思う。
備えあれば憂い無しというが災害時の準備はしておくに越したことはない。
さらに災害時持ち出し袋を準備しておくのは非常に有意義だと思う。

今回はこのへんで
では

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